頼れなかった僕が、一歩踏み出して気が付いたこと

こんにちは、山口です。

 

先日、ブログ、FB、直接メッセージでクラウドファンディングへの協力をお願いしてから、3日間で一気に100万円超ご支援をいただけました!

 

ご支援くださいました皆様、

本当に本当にありがとうございます。

 

思い切ってクラウドファンディングへの協力依頼をして、

気が付いたことがありますので、

今日はそれについて書きたいと思います。

 

結論を書く前に、ちょっと僕の昔話をさせてください。

(ちょっとといいつつ長文で恐縮です。。)

 

1、父との別れ

僕の父は、僕が5歳の時他界しました。

幼い時の事なので、父の死についてはうろ覚えですが、大勢の方々がいる

多分火葬場の控室の様な所で走り回っていた記憶があります。


母と姉と僕の3人家族になり、周りのおじさんおばさんに、

何度となく言われた言葉があります。

『たけおみがしっかりしなさい。男なんだからしっかりしなさい。

男はおまえひとりだからしっかりしなさい』

 

しっかりしなさい。

 

まだ小さくよく分かりませんでしたが

『しっかりしなければいけないんだ』と

ただ何となく単純にそう思いました。

 

2、人に頼られることに生きがいを見出した

片親という事を、自分の中ではあまり不憫・不幸とは思わずに僕は成長しました。

そして、進んで学級委員長や生徒会活動をするようになっていました。

 

今思うと、学級委員長や生徒会活動を本当にしたかった訳では無く、

人に頼まれたことに自分が対応できること、

人に頼られる事が好きだったんだと思います。

 

そして、この時から、人の為に何かする事の大切さと喜びを知ったんだと思います。

 

高校入学と同時に、僕は母と二人で東京に上京しました。

高校ではバスケットボールに夢中になりました。

さほど上手くもなかったものの、練習に明け暮れる日々。

 

練習では怪我をする事が多く、その時に人生の転機になる

整骨院という存在を知りました。

 

怪我をするたびに、家の近くの整骨院に行き、治療をしてもらい、

治るとまた怪我をして再び整骨院に。

こんな事を繰り返していくうちに、整骨院の先生と非常に仲良くなりました。

 

バスケットボールに明け暮れていた僕は、大学進学ではなく、

手に職を付けようと専門学校の道を選択します。

 

選択肢は二つでした。

 

もともと料理好きで、一つは、お寿司屋でのバイト経験もあったので、寿司職人の道、

そしてもう一つは、整骨院の先生柔道整復師の道です。

 

母とも相談し、私が選んだ道は柔道整復師の道でした。

 

3、柔道整復師人生のはじまりと衝突

整骨院の先生に学校を紹介して貰い、整骨院インターン生になりました。

 

7:30から16:00まで働き、17:00から21:00までは学校で勉強。

こんな生活を3年続け、21歳の時に国家資格である柔道整復師になる事が出来ました。

 

また、勉強しながら知識を積んだ僕は、徐々に仕事にも自信がついていました。

柔道整復師になって患者さんを任せられるようになり、

また患者さんにも受け入れて貰えて、充実した毎日を送っていました。

 

ただ、僕は、この頃とてもとんがっていました。

いつも自分の意見を主張し、曲げない様になっていたと思います。

自分はしっかりしなければいけない、そして、人の役に立つように努力もしている

だから僕はこうだ!という気持ちが強くなっていたのかもしれません。

 

当時所属していた整骨院の院長ともぶつかる事も多かったです。

周りを見ても、そんなスタッフは僕以外いません。

でも、自分が正しいと思っていた事は、決して曲げませんでした。

いや、曲げられませんでした。

 

本来であればその整骨院グループで分院長になる予定でした。

しかし、ある事件をきっかけに整骨院を辞める事になりました。

独立したいというより、院長と離れたかったのです。

つまり、今思うと「逃げ」です。

 

思い返すと非常に幼い浅はかな考えだったと思います。

 

4、起業

整骨院を開業するほどのお金もなく、また銀行等の付き合いも分からず

今まで家と整骨院の往復をしていた僕は、手持ちの貯金200万円で

24時間3輪バイクにベッドと積んでどこでも出張施術に行くというスタイルで、

個人事業を開業しました。


2002年4月に独立し、まずは食べる為に必死でした。

もちろん、以前と比べると得られる収益、お金は中々安定せず、常に綱渡りでした。

 

だんだん精神的に追い詰められてきました。

そして、そのときに出会いがありました。

 

当時の経営者仲間の紹介で出会った、同じ県出身の大先輩経営者です。

 『何かお手伝い出来る事は無いかな』と声をかけてくれたのです。

 

その頃、私は会社を大きくし、故郷の青森県

データーセンターやコールセンターを作るという密かな夢がありました。

 

その為にも会社を大きくしたいけれど、知識もお金も経験もない、

どうしようと考えていた時の出会いだったので、その方に色々と話しました。

その後もその方からの紹介で色々な方を出会い、半年後には個人事業を法人化、

そして数千万の資本金を積んだ会社が出来ました。

 

三国志に出てくる劉備になった気分でした。

この頃、僕は27歳でした。

テレビではホリエモンはじめ、IT企業家が沢山取り上げられていた頃です。

自分もビックになれるのか!と、心は踊っていました。

 

5、人生で一番辛かった2年間

しかし、事件が起きます。2008年のリーマンショックです。

企業内に、福利厚生の切り口で開拓してた僕は、

リーマンショックで売上のほとんどを失いました。

 

しかもタイミングは最悪でした。なんと、僕は直前に霞ヶ関に本社を移転し、

新丸ビル内にサテライトオフィスまで開いてしまっていたのです。

 

ここから何もかもが上手くいかなくなりました。

 

社員からの不満、役員との確執

 

気が付くと、毎日朝マクドナルドで100円のコーヒーを買い、時間をつぶして

社員が返った頃に事務所に行くようになりました。

 

電車に乗るお金もなかったので、都内は殆ど歩いて移動していました。

冗談抜きで、財布の中にはお札のお金が1枚もない日々が続きました。

そして、銀行からの鳴り止まない連絡。

この状況が何か月も続きました。

 

経営者山口の大失敗です。

こうなると誰も信用できなくなり、友人からの電話にも出られなくなっていました。

 

すべてはもう終わったと思っていました。

思考は負のスパイラルに陥り、笑顔はすっかり消え、

生きていても死んでいるような日々でした。

こんなことをいうのは憚られますが、正直死にたいと毎日思っていました。

こんな自分は無価値で、生きてても仕方ないと思いました。

 

しかし、その中でもそんな僕を信じてくれた経営者仲間や、治療家仲間がいました。

彼らは僕が電話にでないと、心配して家まで来てくれました。

全力で僕の状況をどうにかしようと協力してくれました。

その仲間達の言葉、時には叱咤、そして、「お前なら出来る、まだやれる」という

暖かい言葉に僕は救われました。

 

6、2度目の起業

すべてから逃避していた僕は、約2年かけて社会復帰しました。

 

会社は解散することになり、多額の借金を背負いましたが、

最悪な時期は乗り切れました。


頼られる事が好きだった僕は、

仲間を頼る事により、

大きく人生を取り戻す事が出来ました。


人は笑顔になり元気だと考え方が変わります。

マイナスと思っていた事がマイナスとは思わなくなるのです。

物事の見方が変わりました。


・過去で大きく受けた打撃は授業料

・神様は越えられない試練は与えない

・他人と過去は変えられない変えられるのは自分と未来だ

 

強引なくらいポジティブ思考になり、再度経営者としてのアクセルを踏み始めました。

前回の二の舞にならない様、今回は技術者のみのチームを

結成していこうと考えました。
会社は自分1人で、必要最小限スタッフに仕事を依頼、

現場の担当は登録スタッフにすることで、

リスクを最小限にしたモデルで再出発をしました。

 

会社の売上は大きくないものの、安定した状況で、

 

自分の人生はこれで良い。

大きくしなくてもこれで良い。

 

ちょうど1年くらい前は、そんな風に考えていました。

 

しかし、その時に現在の共同経営者の月村さんに出会い、

もう一度チャレンジすることにしました。

 

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今、僕と一緒に働いてくれている仲間のセラピスト達は、

お世辞にも高収入とは言えません。

それどころか、仕事対する正当な対価をもらえていません。

 

その状況を僕は知っていたし、問題視していたのに

何も自分で動こうとしていませんでした。

というか、過去を足かせにして動けなかったのです。

 

これも一種の「逃げ」です。

 

でも、一歩踏み出しました。

 

そして、relappiを成功させるためにクラウドファンディングに挑戦しました。

 

しかし、僕はここでもまた逃げていました。

支援をお願いするのは怖い。そう思っていました。

 

そんな時にも、周りの仲間が助けてくれました。

きちんとやり遂げろ!ぐっさんならできる!と

叱咤激励してくれました。

 

そして思い切って支援をお願いしたら、

3日間で100万円超もの支援が集まりました。

 

僕が恐れていたもの、逃げたかったものは

僕自身が作り出した幻でした。

 

それって何だったんだろうと考えると、

一番は自分が思い込んでた「べき」なんだと思います。

~すべき、こうあるべきの「べき」です。

 

特に2つの「べき」がありました。

先に述べたように、1度目の起業でお金でもめて、苦労をした過去があるので、

お金に関することは、とことん慎重になるべき、人間関係にお金を絡めないべき

 この「べき」がクラウドファンディングをやってからもずっと頭にひっかかっていました。

 

なんでなのか分からないのですが、クラウドファンディングの依頼をすること

=「お金をもらうお願い」をするみたいな気持ちになってしまっていました。

 

そして、もう1つの「べき」は、仲間なら仲間の夢を応援すべきです。

僕は、自分に出来る限りは、頼られたら喜んで周りの仲間を応援してきました。

それは、もちろん仲間のことが好きだし、頼られることが好きだからです。

 

でも、あまり逆の立場になったことがありませんでした。

悲惨な状況下で、周りから差し伸べられた手を握ったことはあったものの、

自分から積極的に何かをお願いしたり、誰かに頼ったりというのは、

5歳から「家族唯一の男」をやってきた僕にはあまり経験がありません。

 

だから頼り方がわからなかったし、もし頼った時に拒絶さることが怖かったのです。

 

なぜかというと、仲間なら仲間の夢を応援すべきという考えがあったので、

「応援しない=仲間じゃない」になってしまうからです。

人が好きで、仲間が大好きな僕にとって、それは恐怖です。

 

しかし、ここ数日でこの2つの「べき」から解放されました。

 

僕が挑戦しているクラウドファンディングは寄付ではなく、

購入型なので、リターンをちゃんと用意しているものです。

例えるなら、映画の前売り券のようなものです。

 

僕が用意したリターンを買ってもいいと思ってくださったり、

relappiが上手くいくことにメリットを感じていただけて、

応援していただけたら支援をしていただけばいいんだ。

 

そして、もし応援していただけなくても、

それは「仲間ではない」ではなくて

たまたま今回僕が用意したもの=relappiが何らかの理由(タイミングとかもありますよね)で合わなかっただけで、自分とその方との関係は変わるものではないんだ。

 

そう考えられるようになってきました。

 

今までは、自分の考え(べき)を勝手に人に押し付けていたようなものです。。。

(スミマセン)

 

そして、こういう風に考えられるようになったのは、間違いなく

今回のクラウドファンディングを通じて支援をしてくださっている方々のおかげです。

 

僕に勇気をいただきありがとうございます!

 

残りあと11日です。

 

ここからもっともっと、行動します!頑張ります!

 

引き続き応援お願いします!!!

 

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